作って以来、放置しており、存在自体忘れていた「少年犯罪は急増しているか」ですが、最近とあるところでリンクが張られているのを見つけ、懐かしくなりました。ググってみると割と色々なところからリンクが張られており、知らない間にそれなりに役に立っていたようです。しかし、やはり平成13年度の『犯罪白書』をもとにしているので、今となってはデータが古すぎます。見ているうちに、その後、少年犯罪がどのように変化したのか、自分でも気になったきたので、『犯罪白書』平成19年度版をもとに作り直してみました。また、少年人口の減少を考慮していないという指摘があったので、それも新たに分析対象に入れました。
本分析で使用したデータは法務省発行の『犯罪白書』平成19年度版および総務省の「人口推計」です。
なお、使用したデータはCSVデータとして置いておきますので、利用したい方はご自由にどうぞ。というか、こういうものは白書のところで用意しておいてくれればありがたいんですが。
「少年刑法犯の主要罪名別検挙人員」『犯罪白書』
「10歳〜19歳人口」総務省「人口推計」より作成
刑法犯総数を素直にグラフ化したものです。平成17年度版から「少年刑法犯の主要罪名別検挙人員」に凶器準備集合、詐欺、盗品譲り受け等、住居侵入、器物損壊、危険運転致死傷、交通関係業過、その他という犯罪が統計の中に新たに加わっているので、同じ年を比較しても、平成13年度版に比べて数が増えています。
ピークは1951年、1963年、1983年にあり、1983年がもっとも大きな少年犯罪のピークとなっています。1983年以降はほぼ減少傾向にあることが分かります。次に少年刑法犯の少年人口比を見たいとおもいますが、その前に少年人口の推移を見てみましょう。なお、少年刑法犯総数は触法少年の補導人員を含みますので、その年の10歳から19歳の人口を合計したものを使用しています。
第1次ベビーブーム(1947年〜1949年生まれ:団塊の世代)および第二次ベビーブーム(1971年〜1974年生まれ:団塊ジュニア)がこの年齢層に入ったときの2回山があり、第二次ベビーブーム以降は右肩下がりになっています。次に少年刑法犯総数の少年人口比です。これは少年人口千人あたり刑法犯が何人いるかを示したものです。以降すべて、人口比については「少年人口千人あたり」を表します。
1981年にピークを示していますが、それ以降もそれほど減っているわけではなく、高い水準を保っています。人口比で考えるとそれほど検挙人員が減っていないことになります。しかし、この少年刑法犯総数は単純に使うには少々問題があります。窃盗、横領は警察活動の恣意性に左右されやすい点、1971年以前の数字がわからないものがあるという点、交通関係業過は事故であり、少年犯罪としてしまうのは無理があるという点の3点です。これについては後ほど考慮するとして、罪状別の経年変化を見ていって見ましょう。
凶悪犯罪の定義は平成13年度版と同様、殺人、強盗、強姦、放火とします。合計および罪状別の検挙人員は以下の通りです。
2000年以降、2003年までは横ばいですが、2004年以降は順調に減少しています。2006年時点でピーク時の1/6となっています。
罪状別に見てみると、その原因が強盗の減少であることが分かります。2006年は1,000人を割り、厳罰化が図られた1997年以前の水準に戻りました。また、強姦が2000年以降も下がり続け、2006年には113人と史上最低を記録しています。殺人と放火は横ばいのようです。
次に凶悪犯罪の人口比を見てみましょう。
凶悪犯罪の人口比では1958年にピークをつけ、それ以降は激減しています。1997年の厳罰化傾向以来0.15を超えていましたが、強盗が減少しはじめた2004年以降からは減少傾向です。2006年はピーク時の1/3.5となっています。
性犯罪についても、検挙人員と人口比を見てみます。
検挙人員、人口比とも1957年から1966年がピークでそれ以降は激減、1990年以降は低水準で安定的に推移していることがわかります。2006年時点で、検挙人員でピーク時の1/11、人口比でも1/7.5となっています。
平成13年度版では分析しなかった粗暴犯についても見てみましょう。
やはり1958年から1964年あたりまでがピークで、それ以降は激減、1980年代に校内暴力が荒れ狂ったことが原因か、再び増加に転じています。人口比でも同様の傾向を示しており、2000年以降は減少傾向にあります。罪状別では1980年代から傷害と恐喝が特に高水準で推移していましたが、2000年以降、急激な減少に転じています。凶器準備集合は平成17年度版からあらたに加わりましたが、1971年以前のデータがありません。凶器準備集合のピークはやはり校内暴力の影響でしょうか。傷害、恐喝、暴行のピークともだいたい重なります。
次に窃盗、横領、詐欺についてみていきましょう。詐欺については平成17年度版から追加されていますが、1946年からすべてのデータがあります。
窃盗は1989年以降急激に減少し、1990年代は10万人代で推移した後、2000年からさらに減少に転じており、2006年は1946年以降、最低を記録しています。成人も含めた窃盗の検挙率は2001年に15.7%という最低水準に落ち込んで以来上昇に転じ、2006年には27.1%まで回復しています。検挙率が上昇しているにもかかわらず、少年の検挙人員が減少しているということは、やはり少年による窃盗自体が減少していると考えられます。なお、少年の窃盗は5割が万引き、2割が自転車盗、1割がオートバイ盗となっています(「窃盗の少年検挙人員の手口別構成比」『犯罪白書』平成17年度版)。
横領は2000年以降も相変わらずの急増です。少年の横領では、ほぼ100%が占有離脱物横領になっています。
詐欺については、1950年がピークでそれ以降は激減、1970年代以降は低水準で安定的に推移しています。ただ、2003年以降、増加する傾向が若干見られます。これはいわゆる「振り込め詐欺」によるものと考えられます。
平成17年度版から新たに加わった住居侵入と器物損壊ですが、1971年以前のデータはありません。
非常に不思議な動きをしています。1972年以降、多少の変動はあっても住居侵入が1,500人前後、器物損壊が1,000人前後で推移していたわけですが、2000年以降、急激に上昇しています。横領以外の犯罪で2000年以降、上昇にしているものがないのに、いったいどうしたことでしょうか?最近の少年の「心の闇」は人の家に侵入したり、ものを壊すという方向へ向かっているのでしょうか?
「心の闇」は考えてもよくわかりませんので、成人も含めた住居侵入と器物損壊の認知件数と検挙人員を見てみたいと思います。
これを見ると、住居侵入と器物損壊の認知件数、検挙人員ともやはり2000年以降急増しています。特に認知件数は激増といってもいいくらいの増加ぶりです。こういった場合は、少年の「心の闇」よりも、警察の活動に変化がないかを見た方がよいというのがセオリーです。2000年頃に警察の活動方針に大いに影響を与えるような大きな出来事があったでしょうか?それがあったのです。「桶川ストーカー殺人事件」です。
この事件では被害者や被害者家族が何度も埼玉県警に対して告訴状を提出していたにもかかわらず、埼玉県警が民事不介入を理由にこれを放置して捜査しないどころか、告訴状の改竄、家族に対して取り下げの要求までしました。そして最終的には被害者が殺害されることになってしまいました。これに対して、世論から大きな批判が起きたため、警察は方針を変更、「前さばき」をやめ、すべての被害届を受理し、今後大きな事件に発展しそうな事案については、積極的に介入していくようになりました(河合幹雄「犯罪統計の信頼性と透明性」『学術の動向』2005年10月号)。この方針転換により、夫婦間・親子間の家庭内暴力、友人・知人による住居侵入や器物損壊など、これまで民事不介入として取り扱わなかった事案について、警察は積極的に告訴・告発を受理し、検挙していくようになりました。そのため、認知件数が激増、それに伴って検挙人員の急増が起こっているというわけです。
つまり、2000年以降になって突然これらの犯罪が増えたのではなく、それ以前も潜在的には発生していたものが、警察の方針転換により、顕在化し、統計に表れたと見るべきです。よって、1999年以前と2000年以降の数字は不連続であり、同じ土俵で比べることはできません。粗暴犯の傷害および恐喝の検挙人員が2000年に一時的に増加しているのも、この一環であると考えられます。
本節は交通関係業過、2001年12月から施行された危険運転致死傷罪、「その他」を含めた検挙人員です。これは交通関係業過が1965年以前は「その他」に含められていたためです。ただし、「その他」には交通関係業過以外も入っています。
まずは素直にグラフを追っていきたいと思います。ピークとしては2回、1969年と1989年です。1989年以降は年々減少していっていることがわかります。1950年代後半から急増、1970年以降は急減したとはいえ、1980年年代は高水準で推移しています。
交通関係の検挙人員を見る上で難しいのが、戦後は自家用車の普及の時期と重なったという事実です。自家用車とオートバイの普及率を見てみましょう。このグラフは内閣府「消費動向調査」から作成しています。
オートバイは1960年代以降は安定していますのでよいのですが、自動車は調査を始めてから一貫して上昇し続け、80%を超えたあたりでやっとそのペースが緩やかになっています。
1960年代の交通関係業過の急増はオートバイの普及率の上昇時期と重なります。1965年までの自動車免許のオマケでしかなかった自動二輪の免許制度もあって、事故が急増したのではないかと考えられます。
当たり前の話ですが、自家用車を持っていない人は、自動車を運転する機会は非常に少ないため、事故を起こす確率も低くなります。つまり普及率が低ければ、事故はあまり起こらず、普及率が高くなれば、事故が多く発生するということになります。したがって、上記のグラフは前提となる自家用車の普及率が安定していないため、過去から現在までの単純な比較ができないということになります。
ただ、なんにせよ、交通関係業過はあくまで過失により事故を起こした数であり、少年犯罪とは言い難いものです。
以上、罪状別に詳しく見てみましたが、全体の動向をどのように見るべきでしょうか?期間比較する際の約束は、各期間の条件をある程度一定に保つことです。そこで期間比較を難しくさせる攪乱要因を除いていきます。
まず、統計に不備のあるデータです。凶器準備集合、盗品譲り受け等、住居侵入、器物損壊の4つの犯罪は1971年以前のデータが存在しません。したがって、これらを含めてしまうと1971年以前の総数が不当に低く評価される結果になりますので、これらは除外すべきです。
また、交通関係については上述したようにこの時期は自家用車の普及時期と一致しますので、条件がそろっていません。これも期間比較には適さないといえます。また、交通関係業過は自動車やオートバイの運転時に過失により起こした事故です。これを少年犯罪に入れてしまうのには無理があります。危険運転致死傷は一種の故意犯として捉えられているので、少年犯罪としても良いのですが、これは2001年から新たに新設された犯罪です。それまでは交通関係業過に含められていたわけですから、交通関係業過を除外して、危険運転致死傷を含めると2000年以前を過小評価することになります。したがって、交通関係業過、危険運転致死傷、その他についても、除外すべきです。
つぎに窃盗と横領です。窃盗は検挙人員が全体の60%前後と非常に大きく、窃盗を入れてしまうと窃盗の動向がすなわち全体の動向になってしまいます。また検挙率が低いため警察の活動方針にかなりの影響を受けます。横領も右肩上がりですが、ほぼすべてが占有離脱物横領であり、少年犯罪として数えるには、少々問題があります。また、2006年で検挙人員の20%を占めるため、急増の影響があまりにも大きすぎます。少年の検挙人員総数が減らない一番の原因は横領ですが、放置自転車に乗っている1人と殺人犯1人を足して2人とするのはいくらなんでも無理がありすぎます。窃盗および横領も除外すべきでしょう。
以上の攪乱要因を除外した結果は以下の通りになります。
結果としては、やはり1958年から1966年までが検挙人員、人口比ともに少年犯罪の最盛期で、それ以降は急減、80年代前半は校内暴力などにより検挙人員、人口比が上昇し一つの山を作っていますが、80年代後半から減少し、1990年代前半は歴史的な低水準で推移しました。1997年以降増加に転じ、2000年をピークとした山がでてきましたが、これは警察が活動方針を変更したことが原因であることはすでに述べました。2000年以降は減少に転じ、今後は1990年代をさらに下回る可能性もあります。
2006年と1964年のピーク時を比べると、検挙人員数で1/4、人口比で1/2.5となっています。
やはり少年犯罪の増加は起きていないと結論づけられます。むしろ、2000年以降はさらに減少傾向にあると考えていいでしょう。
『犯罪白書』平成17年度版から罪状が増えたわけですが、今回の分析ではその多くが期間比較に使えないと判断し、除外することになりました。これを恣意的だと判断するか、適切だと判断するかは読む方の判断にお任せます。